2011年1月17日月曜日

バーネットニューマン「アンナの光(Anna’s Light)」1968  色彩による独自な空間表現

1、ニューマンの色彩における独自性

前稿では「在れⅠ(BeⅠ)」1949について、見る者の面前に対峙する全体性を保ちながら、同時に色彩で感情を引き出す働きかけを為す、「対峙する感情」として書いた。

今回はニューマンの色彩の用法における独自性について書いてみたい。

「在れⅠ(BeⅠ)」は、ニューマンの成熟した作品群の出発点「OnementⅠ」1948(今回未出品)における色彩の働きの重要性をより増した作品として制作されていると考えられる。作品全体のサイズが拡大されつつプロポーションとしても横幅を増していて、さらにはジップの幅が狭くなることで両サイドの色彩領域の作用がより増している。

「OnementⅠ」を含むニューマンの成熟期の色彩における特徴は、なによりも色相の単一性が強いこととそのあらわれ方、作用にある。この色相の単一性という特徴は、作品構成的に大きく2つのタイプがある。


2、ジップと単一の色相による表現

今回の川村記念美術館における展示作品では「在れⅠ(Be Ⅰ)」が「OnementⅠ」を引き継ぎ、単一の色相を持った色彩領域のあり方、あらわれをより強く主張する作品における最初のタイプである。
「夜の女王Ⅰ(Queen of the NightⅠ)」は極端な縦長フォーマットでジップは左サイドに寄るがこのタイプに近い。

ジップはこの2作では白であり色彩を主張しない、どちらかと言えば作品全体の明暗関係の極端な明部としてある。従って、ジップはあっても単一の色相による表現であり明暗関係による極端な表現と言える。

このタイプの作品では、離れると存在の単一性、全体性が強く、近づくとジップの両サイドが色域として強く作用し始める。その色彩は離れるとほぼ一様な単色だが、近づくとむらがある。このむらは明暗としても感じられ、単一の色彩とともに画面の表面、奥行、作品と見る者の間の空間を曖昧にする。この空間の在り方は明らかに通常の絵画、タブローの延長上にある絵画とは異なる空間である。しかしこのタイプにおいてこの作用はまだ小さく、どちらかと言えば、「見る者の面前に対峙する存在」としての性格の方が強い。タイトル「OnementⅠ」、「在れⅠ(Be Ⅰ)」は作家自身がこのことを強く意識していたことを伺わせるものでもある。

この単一の色相による絵画はほとんど前例がないように思われる。マレーヴィッチの「赤い四角(二次元の農婦)」1912が近いと言えるが影響関係は不明、マティスの「赤い室内」1948も思い起こすが、これも影響関係は不明である。

成熟期ニューマンにおいて単一の色相は色彩の感情喚起力、象徴機能を最大限に強めるために使われている。もちろんここで言う象徴機能は特定の内容と結び付くものではなく、機能そのもの、働きかける力そのものである。

「OnementⅠ」以前において「Genesis-the Break」1946、「The Word」1946、「Moment」1946、「The Edges」1948(以上全て未出品)のように色相表現によらない明暗関係に基づく制作をしているのだが、ニューマン自身が言及しているように、これらの作品は旧来の絵画空間を前提にしているところが「OnementⅠ」とは決定的に異なる。「OnementⅠ」において初めて強い単一の色相を使う意味が自覚されたように思われる。ここでは色彩が弱められることなく使われているのと同時に、むらによって明暗関係が生じてもいる。


3、単一の色相の力を最大限に強めた表現のタイプ

2の作品タイプに遅れて制作されたもう一つの主要な系列が、今回の展示では「原初の光(Primordial Light)」1954から「アンナの光Anna’s Light」1968に至る作品である。
この両作品では中央の広い単色の色域を、両サイドのより明るい同系色(「アンナの光Anna’s Light」では白であるが色相対比ではなく同系色の最も明るい色彩として使われている)で挟むかたちになっている。

「原初の光(Primordial Light)」では縦長フォーマットの作品中央、広い領域を為す黒に近い青を、狭い両サイドの明るい青灰色の色域が挟み込む。左右は作品の限界を捉えやすいが上下方向は縦の構成にもよって限界を捉えにくく、キャンバスを超える広がりを感じさせる。色彩は色相対比というよりも明暗関係として捉えられる。

この作品タイトルも「在れⅠ(BeⅠ)」と同じく、旧約聖書にある「光あれ」という神の言葉を思い起こさせるものである。ここで言う原初の光は、光が産まれる前の闇の意味のように受け取れ、タイトルと表現が近すぎる気もするが、黒に近い青という色の選択が光の一般的イメージとは正反対で少し救われているとも思われる。

この「原初の光(Primordial Light)」における色彩の用法、明暗関係として了解されもする近似した色相を並べる方法は、ベアト(フラ)・アンジェリコ「磔刑のキリストを礼拝する聖アントニーノ」1442年頃(サン・マルコ美術館)の色彩を思い起こさせる。青、紺、白の組み合わせがそこにはある。その他、やはりベアト(フラ)・アンジェリコが描いた僧房内のフレスコ画における登場人物の服装で近似した色相を並べる効果が使われている。


4、「アンナの光Anna’s Light」

「アンナの光Anna’s Light」1968は最晩年のニューマンが制作した作品タイプとしても、全作品中においても最大サイズの作品であり画家の意欲の大きさを伺わせる作品である。

この作品では中央の広い朱赤の色域を左右で幅の異なる狭い白の色域が挟んでいる。ジップはなく、高さも幅も巨大で、それゆえ相当に作品から離れないと一望することもできない。ここには、離れると存在の単一性と全体性が強く近づくとジップの両サイドが色域として強く作用し始める「在れⅠ(Be Ⅰ)」とは異なる、単一の色相による色域の作用に焦点を当てた、ニューマンが最終的に到達した色彩による空間の表現がある。

その単一の色相は見る者を最初から捉えて作品を一望させることなく(あるいはその必要、意味がなく)、色彩の直接的知覚体験に巻き込み、その知覚のただ中において色のむらの働きもあって作品の奥行、表面、手前を意識させない、それどころか積極的にそれらを無意味にする空間を出現させている。見ている間中、直接の知覚体験と知覚しているという意識の発生の瞬間が交互に持続するようなあらわれであり経験である。
この空間はモーリス・ルイスのヴェイル作品も近いと思われるし、絵画ではないがダン・フレイヴィンの蛍光管による光の空間も同様なあらわれを見せている。

最盛期のニューマンの色彩は強い感情の反応を引き起こす、言わば感情象徴主義とでも言うべきものである。しかしニューマンの場合、喚起される感情は特定されず、それゆえ喚起力の強さがより強調され、暴力的なまでの強度に達している。と同時に彩色の方法は抑制、洗練されていることが見る者を混乱させもする。抑制されていることで一見ミニマルアートと称される作品との近似性も指摘しうるが、空間との関わりと共に感情との関わりによる表現であることで本質的に異なっている。

ただ、晩年の「アンナの光Anna’s Light」の場合は感情を引き起こすというよりも、作品の知覚体験と知覚意識そのものがただあるように思われる。知覚体験と空間体験が感情をあまり引き起こさずに持続する、それゆえに「在れⅠ(Be Ⅰ)」などと比べると表現が薄い、表現がないとも思われかねないのだが、それこそが晩年に到達したニューマン独自の空間とともにある表現であるように思われる。


バーネット・ニューマン 《アンナの光》 1968年 アクリル、カンヴァス 276.0 x 611.0cm
川村記念美術館所蔵 http://kawamura-museum.dic.co.jp/collection/barnett_newman.html