2012年4月12日木曜日

吉川民仁の絵画


吉川民仁の個展を鎌倉画廊で見た。
2011年10月には人形町ヴィジョンズで小林ひとし企画によるグループ展でも展示していた吉川の絵画は、1970年代後半に始まる日本における絵画復興の動き、フォーマルな絵画を作り出そうとする動きの第2世代のように思われる。

第1世代は須賀昭初、中村功などであり、現在の作品には共にメディウムを使用した絵具の半透明性という共通性がある。メディウムによる半透明性は平面に立ち至ってしまった絵画に、今いちど深さの感覚をもたらそうとする手段のひとつであると思われるが、この世代の他の作家にも見られる共通性であるようだ。

吉川は第1世代とそれに先立つ世代に比較して、ずっと絵画的な抽象を何の屈託もなく巧みに描いているようにも思われる面がある。物体的な半透明性と関わらない自在な油絵具の使用に第1世代のような苦闘の影はあまり感じられない。ならばそれは単なる抽象画なのだろうか。それを自ら証明するかのように吉川はタピエスらアンフォルメルの画家たちへの関心を語ってもいる。
しかし吉川の作品はアンフォルメルを始め、いわゆる抽象絵画とは別の場所にあるように見える。

タピエスらは絵画表面の物体感もあらわな表現をしている。しかし物体的表現とは裏腹に、そこでは絵画が成立するかどうかという不安はないように見え、眼に立脚する芸術としての絵画形式それ自体は楽天的であるように思われる。対して吉川はそのような絵画という形式がすでにない、前提しない場所で制作をしているように見える。

現実そのものからの出発であることを表明するかのように、色面はあからさまにスキージで絵の具が広げられ、線はナイフで引っかかれ、絵の具の塊が画面に付着している。平たい単色のパネルのような表面のネット状の線のもつれや絵の具の塊は、かたち以前のままに、かつての抽象絵画におけるアクセントのように見えながらもそれとは異なる、即興的な眼で見るだけの関係をつくりだしている。眼がたどる画面の場所場所で、それらが明暗や色彩の関係をつくりだして行くことが、笑い、ユーモアのような感覚を伴って感じられる。制作する、描くことがあらためて眼に向けた表現を生成できるかどうか、そのことによって絵画という形式が、今、新たに生成できるかどうかがそこでは試されているように思われる。

画廊には吉川の特徴とも言うべき白い画面、このところ目立つ緑色の画面、深い紫の画面、黒の画面等があった。以前はかたさのあった画面に大きく色彩と明暗の変化が表れているのは10月のグループ展の作品から見られる傾向で、そのことが以前よりもネット、色班と画面の関係をつくりだして眼の感覚を動かしている。ただ、白い作品のひとつに見られるように線のもつれや色班が並列的に並ぶ場合、画面全体としてはおおむね単色で描かれる要素も強くはないために、見ることで生まれる感覚的な統合性よりも物体的な統合性が強くなってしまうきらいがある。そのために作品は平板になってしまい、感覚的な心地よさに傾きがちになってもいる。

*写真は吉川民仁「net 80-01」2011年