2014年12月10日水曜日

EVA HESSE(エヴァ・ヘッセ)  ー 樹脂(FRP)というミディアムの出現ー



EVA HESSE(エヴァ・ヘッセ)  ー 樹脂(FRP)というミディアムの出現ー

初めてエヴァ・ヘッセの作品を見たのは1976年、当時池袋西部デパートにあった西武美術館での「アメリカ美術の30年:新しきものの伝統/ニューヨーク・ホイットニー美術館コレクションから/アメリカ合衆国建国200年記念」展ではなかったか。カタログがあったはずだのだが、見つけ出せない。

この展覧会で私は初めてアメリカ現代美術を、ある程度まとめて見る事ができた。充分理解できないままに、それでも見ていた感覚は今もリアルに残る。ニューマンの、マスキングテープで白と青に塗り分けられた壁のように不透明な表面は、それまで見ていたどんな絵とも異なり目の前に視線をはね返すように、ただあった。ポロックの作品も並んでいて、その時はとてもきれいとは言いがたい印象だった(ニューヨークで大きな作品を見た時にはこれほどにもきれいで官能的な作品があることが信じられないと思えたのに、日本で見るポロックはあまりきれいに見えないのが残念だ。良い作品が来ないせいなのか、空気中の湿度の違いなのか)。それらの作品の中に、歪んだ棚のようなエヴァ・ヘッセの樹脂による作品があったと記憶しているのだが。ぬめぬめとして気持ちの悪いような質感だったことを思い出す。

その後1983年夏、ニューヨークに絵を見るために行った短い旅行の際に、再びエヴァ・ヘッセの作品に出会っている。ホイットニー美術館だったか。
この時は資料として画集やカタログを購入して重たいトランクで帰ったのだが、その中にMoMAで購入した「EVA HESSE」があるのは、自分で樹脂を使い出す直前の時期で興味を持ち出していたのだろうと思う。その後、この本はずっと私の手元にある。同時にMoMAで購入した画集中には、旅行中に見たなかで最も興味を抱いたジャクソン・ポロック、バーネット・ニューマン、モーリス・ルイスなどがあり、どの作家も今も私の深い関心の対象であり続けている。

Eva Hesse    SansⅡ   1968

1980年前後という時代は、現代美術において再び感覚的な領域での積極的な表現が求められ、試行され始めた時期である。
アメリカのARTFORUM(September1980)に掲載された「Energism:An Attitud, by Ronny H.Cohen」というエッセイ、日本での藤枝晃雄企画「感情と構成・展」などがその状況を良く伝えていたと思う。それを継承したと考えられるのが「内面化される構造」展で、こちらは早見堯企画、この展覧会は私も参加していてとても感慨深いものがある。床の上の作品を発表したのだった。彫刻、絵画という伝統的な形式の終焉を敷衍したと考えられるミニマルアート、コンセプチュアルアートの、さらに後の表現とそのあり方を探す時期であり、アメリカにはリンダ・ベングリスやFRPの可能性を見せていたTom Butter(何年か後に日本で実作を見た憶えがあるのだが、記憶違いだろうか)などもいた。

Benglis     ModernArtNo.1      1970-74

 
Benglis    Victor       1974

この時期の樹脂の使用には、単なる素材としての意味に留まらない新しいミディアムとしての樹脂の可能性、そして新たな構造につながる形態の可能性が感じられる。
1980年に先立つ1968年というミニマルアート後期のEVA HESSEによる樹脂、FRPの使用は最も早い使用例のひとつではないかと思われる。それ以上に「SansⅡ」や「Repetition NineteenⅢ,1968」に見られるような、型を使用しない(訂正;画集を良く確認してみたらgum rubber mold castを使用しているので型は使っているようである。ただ、先端部分の変形は型とは無関係ではある)FRPの使い方によって出現する「ゆがみ」の導入(まだおずおずとしたものであったにせよ)は、作品全体としては依然ミニマルアートの構造の周辺に留まるにしても、充分に新しい表現形態の出現を予感させるものだったと思える。
(今回の主題ではないので詳述しないが、ミニマルアートにおける繰り返しの構造を「襞(ドゥルーズ)」として読む時、エヴァ・ヘッセの樹脂作品の形状は、単に素材を変えたのではない、襞としての作品のあり方をより明確にするものがあったように思える)

SansⅡ   1968   部分
この型を使用することのない、樹脂(FRP)による自由な形態という方向をさらに押し進めようとしたのが「Energism:An Attitud, by Ronny H.Cohen」でも触れられていたTom ButterのFRPによる作品だったとも思えるのだが、その後の展開が全く伝わらないのは残念なことである。
同様に、樹脂ではないが形態と構造において思考の方向性が共通するように思われる三次元の不思議な形態のキャンバス作品を、当時銀座にあった鎌倉画廊で展示していた斎藤隆夫のその後の展開も見ることがないのは残念だ。
三次元における絵画的感覚を実現しようとする作品は、フランクステラ以外展開を持続している作家はほとんどいない(そのステラにしても形態は先験的に決定されているのだが)。

Repetition NineteenⅢ      1968
TomButter  I.D   1981-2

 「歪みの導入=FRPによる自由な形成」による作品が生まれる前に、ジャクソン・ポロックの制作の中で絵画において初めて流動的なミディアムの力を最大限に生かした作品が生まれている。ポロックの制作中の映像を見ると、中空で放たれるエナメルが画面上に着地、着床する形状をコントロールしようと、筆(あるいは棒?)を細かく左右に振る様子を見る事ができる。
ポロックの制作では、キャンバスは床に水平に広げられていた。その水平面こそが重力によって落下するエナメルの流動性を受け止めて、それまでにない表現を作り出していたのだった。

ポロック作品


そのポロックの方向をさらに押し進めたルイスに至って、制作中の画面、キャンバス面はついに平面である事すら放棄され、ミディアムの流動性を受け止めるのみならず、共同して流動性を作り出すべく撓められ皺をつけられ、同時にミディアムの浸透によって一体化する、キャンバスそれ自体が基底材からミディアムの一部に変貌したのだった。ここからエヴァ・ヘッセの、樹脂の浸透するガラス繊維へはあと一歩だ。
ただ、ポロック、ルイス共に最終的には木枠に張られた状態での絵画として提示しているのだが、それは作家的、時代的な限界であったと考えることも可能ではないか。稿を改めて書きたいが、ポロックとルイスが採用し、展開したステイニングは余白があってこそのステイニングであり、余白のないステイニングは単なる技法に堕したアカデミズムにしか見えない。

ルイス作品
Morris untitled 1969

ミニマルアートの作家として有名なロバート・モリスがその後提唱した「アンチフォーム」は、ポロックとルイスの制作の方向を、さらに三次元の方向で確認したものと言えるだろう。物体的なものとして留まっている限界はこれもまた作家的、時代的なものか。

ポロックによるミディアムの流動性と、それに続いたルイスによるキャンバス自体のミディアムへの変化・変容、ロバート・モリスのアンチ・フォームこそが、型を使わない樹脂による自由な形態の前史であったのだと思う。
                                     古川流雄(美術家)